江戸時代の宝暦年間、京都如来寺の廓誉順起が、法然上人のゆかりの地を巡拝することを発起しましたが、その目的は果たせませんでした。宝暦12年(1762)順起の弟子で大阪恋西庵の順阿霊沢が、法然上人の550年遠忌(1761)と順起の33回忌(1763)を機に、師僧順起の遺志を継承し、大坂や兵庫の僧侶や商人と参拝団を結成し、ゆかりの地を巡拝されたのが法然上人二十五霊場巡拝の始まりと言われています。 法然上人二十五霊場は、法然上人の直接のご遺跡のみではなく、上人自作の御影(画・像)、自筆の名号などが現存する寺院や、上人滅後や弟子に関係のある寺院も霊跡とされ、巡拝することで念仏の教えの尊さを知る喜びを得ることができます。そのため近畿圏に加え、岡山・香川・三重と霊場が広域にまたがっていることや、浄土宗の寺院だけでなく、真言宗や天台宗の寺院も霊場の中に入っていることが大きな特徴です。