甲賀組第一部法然上人二十五霊場

渓蓮寺から地域と歴史を知ろう。
渓蓮寺レポート

今回、訪れたのは、甲賀市水口町春日にある「渓蓮寺」です。渓蓮寺と地域の歴史や、春日の地で生産されていた「緑釉陶器」について、お話をお伺いしました。

渓蓮寺の歴史について


春日の地域の歴史の中で、最も古いのは「地蔵堂」です。延暦2年(783年)、天宮堂(天狗堂)に地蔵菩薩を勧請したことが、地蔵堂のはじまりです。地蔵堂がある場所は、伴谷地域の分水嶺(ぶんすいれい)、山の頂上付近。古くから、地域の人たちが雨乞いに訪れていた場所です。そして、保元2年(1157年)地蔵堂域に八幡宮(応神天皇)を勧請。これが現在の、春日神社です。

さらに応永5年(1398年)に佛法山に竹林寺のお堂が建立。天台宗のお寺であり、渓蓮寺の前身とも言われています。





そして、享禄2年(1529年)9月、渓蓮寺が浄土宗に改宗。織田信長が安土城とともに創建した浄厳院の末寺となりました。当時の住職は、籠(かご)に乗って浄厳院まで出向いていました。当時乗っていた籠は、現在、甲賀市の水口歴史民俗資料館に置かれています。浄土宗を表す桐の紋がついた籠です。興味を持たれた方は、ぜひ水口歴史民俗資料館をお尋ねください。

また明治7年(1874年)には、敬心学校、今の伴谷小学校の前身が誕生しました。その分校として、渓蓮寺で学問を教えていた時期もあります。






渓蓮寺の山号・寺号、春日の地域について






渓蓮寺から奥に続いている峰を、佛法山といいます。この奥に地蔵堂があり、今も地域の方ともども大切にお祀りしています。山号の「佛法山」は、ここから来ていると思います。

渓蓮寺の寺号につきましては、はっきりとした書物は残っていません。大きな谷があるわけではなく、なぜ「渓」の漢字が使われているのか、正確なところは不明です。ただ、春日の地域は明治7年(1874年)まで、畑村とよばれていました。当時から「畑村の渓蓮寺」として、地域の方々に愛されていたようです。

また、春日は、平安時代、高級陶器のひとつである「緑釉陶器」が生産されていた地でもあります。緑色に輝く陶器が、この地から全国各地に出荷されていたと考えると、ロマンを感じる方も多いのではないでしょうか。緑釉陶器の製造工程は、唐から伝わったものであり、渓蓮寺の寺号とも、何らかの関わりがある可能性も考えられます。



No.10番
本霊場法然寺
寺院名渓蓮寺
所在地水口町春日1822
連絡先電話番号0748-62-6780
FAX