写し二十五霊場について
About page
写し二十五霊場と二十五霊場の違い
「写し二十五霊場」
本霊場からより巡礼をしやすい
二十五霊場が誕生。
宝暦年間(1751〜1763)に二十五霊場(本霊場)の巡拝が始まるにつれ、本霊場寺院の「お砂」を各地の寺院にうつす、写し霊場が設けられるようになりました。最も古い写し霊場は、江戸時代に誕生しています。
その理由として、当時は、現代のように交通機関が発達しておらず、また人の移動に関しても、今以上に難しかったことが挙げられます。そこで、国単位、地域単位、または一寺の中に、霊場を設け、本霊場と同じ功徳がいただける仕組みをつくろうと始まったのが、写し二十五霊場です。
甲賀組第一部法然上人二十五霊場が生まれた経緯
甲賀組第一部(滋賀県湖南市全域と甲賀市の一部)の中には、法然上人600年大遠忌直後の文政2年(1819)には、二十五霊場詠歌額を掲げていた寺院が存在しています。また明治34年(1901)にも、二十五霊場の存在が確認できる史料が確認されています。
また、この地域は、本霊場が開設されたとされる明和3年(1766)から50年後の文化8年(1811)には、すでに写し霊場が創設されていた歴史ある地でもあります。
その後、二種の写し霊場が確認されましたが、宗祖法然上人800年大遠忌を記念し、整備復興を手がけたことにより、現在の「甲賀組第一部法然上人二十五霊場」が誕生しました。
平成22年(2010)10月 | 甲賀組第一部法然上人二十五霊場 設立法要 |
---|---|
平成26年(2014)2月 | 第1回目満願の証授与式 約200名に授与 |
平成28年(2018) | 第2回目満願の証授与式 |
これからの取組み
私たちは、本来の「教化」を、現在の檀家さん以外の方にも、幅広くお念仏の教えを広めていくことだと考えています。老若男女問わず、様々な方に「甲賀組第一部法然上人二十五霊場」を回っていただきたい、お寺のことを同時に学んでいただきたいとの思いから、今回ホームページを開設いたしました。
浄土宗の教えからいいますと、お念仏を唱えて「西方極楽浄土に往生させてください」とお願いすることが、究極の目的です。法然上人は、お念仏を唱えてお浄土に行くことが目的であるといわれています。ただ、神社は誓いに行く場所ですが、お寺はお願いをしに行く場所です。お願いすることによって、救っていただける。とてもやさしい存在です。
今まで、お寺の存在が身近でなかった方も、この機会に、甲賀組第一部法然上人二十五霊場を巡ってみてください。